京都雑感(年中行事編)


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・お正月の準備 

最近はおせちを作らないお家も多いと聞きますが
うちはまだ細々ながら作っています。

まず三種と呼ばれる、数の子、ごぼう、ごまめ。
母は「かずかずごんぼにごまめ」と言って教えてくれました。
数の子は、けだし(塩抜き)をしてお醤油などで味をつけたお昆布入り出し汁につけます。
ごんぼは胡麻和えにして、ちょっと酢を加えた「酢ごんぼ」にします。
ごまめはほうろく(ほうらく)で炒って味をつけたよくある味です。

そして後はお煮しめ。
うちは、
棒だら、金時人参、たけのこ、れんこん、ごんぼ、こんにゃく、小いも、くわいを入れます。
ごんぼとこんにゃく、たけのことれんこん、小いもとくわいはそれぞれ一緒に、
人参はこれだけで炊きます。

そして棒だら。これはなかなかうまくたけない!
ほんとにこれだけはいろんな方に聞くのですがまだだめですね。
上手に作られる方の棒だらのたいたんを食べると
口に入れるとはらりとほどける感じで崩れて
程よい甘さがじんわり出てきてほんとに美味しいんです!
あんな感じにたけるのはいつのことやらと毎年思っています。

それから忘れてならない黒豆。
ゆっくり時間をかけてレシピどおりにたいたら
結構うまくたけるのですが
なかなか食べきれないのが悩みですよね。

他にもいっぱいおせちのメニューはありますが
おなますは作るとしても、
伊達巻、こんまき(昆布巻き)、くりきんとんなどは
時々どれか作るのを忘れます。
というか、甘いので主人が食べてくれないから
どうしようと思っているうちに忘れてしまう時があるんですよね。
なんてついつい人のせいにしてしまうのです(^^;

それから、最後にお雑煮の下準備。
頭芋、こいも、金時人参、雑煮大根を下ゆでしておきます。
うちは以前は金時人参を入れなかったけど
なんか彩りが欲しかったので入れることにしました。
ほんとはどうなんでしょうね。
大晦日にゆでて冷蔵庫に保存しといて、
お正月には昆布だしに白味噌を溶いたおつゆに
それぞれの具を入れて煮込みます。
最後に鰹節を乗せてできあがり。
仏様には
生臭い魚からできている鰹節はかけないでお供えします。

大福茶に入れる大福梅と結び昆布も用意します。
時間がない年は普通の梅干で済ませてしまうけど
ほんとなら北野天満宮でもらってくるんです。
結び昆布は薄めの昆布を細く切って
軽く結んでおきます。
これが結構難しい。
ちょっと湿らせておくといいのですが
面倒くさくなってそのまま結ぶと、すぐにパリンと折れてしまいます。
今年は買ってしまいました。ごめんなさい。

そして今年はお雑煮のお椀も新調。
京都式の蓋の小さなお椀です。
蓋には上に書いた三種と黒豆をのせて、いただきます。
男性用は朱赤、女性用は外は黒、中は朱赤のお椀を使うのですが
お椀と蓋にはうちの紋である、丸に隅立ち四つ目結を入れてもらいました。
以前は明治以前から使われているお椀を使っていたのですが
男物は今のと違って随分大きくて分厚いし、
女物は厚みはあるけどとても小さなお椀でした。
今のお椀はどちらも同じ大きさです。
男女の力関係がこんなところにも現れているんでしょうか。

おせちの話に戻って。
うちはこれだけですが
これでもすごいしんどいのに
もっとちゃんとしてらっしゃるところはホント大変です。
でもこれだけ頑張っても
最近はおせちを好んで食べる人が減ってるみたいだし
ずっと作りつづけるのもどうなのかなと思うときがあります。
今年はとっても忙しかったし
まだ年賀状も書いてない有様ですので
おせちを作る量をかなり減らそうかなと考えています。
でもやっぱり、
このメニューと味は娘には伝えたいですね。
やめるかやめないかは娘に決めてもらうことにして
もうしばらくは作りつづけたいと思っています。


節分の厄落とし

節分といえば豆まき。
食べることもしますが
京都では、豆を使って厄落としをします。

まず、豆を今年の満年齢分数えて半紙に包みます。
そして「頭がいたくなりませんように、風邪をひきませんように…」とかいいながら、
自分の頭や身体の他の部分をこすっていくのです。
そして全部終わったら今年の恵方を向いて、
そのおひねりを頭越しに後ろへぽいっと投げると、
それで厄落とし終了。
最後に全員のおひねりを集めて、
近くの神社に納めに行きます。

それから食べる豆は数え年の数だけ食べます。
年がいってくるといっぱい食べないといけなくなるので、
例えば55歳だと5+5=10個でいいことになってます。

最近はこのおまじないのような厄落としをする人は少ないですが
北野天満宮では
このお豆を納めるところがちゃんとあります。
しかし
京都以外であるかどうかはよくわかりません。
もしされている方がありましたらご連絡くださいね。


鯖寿司

5月・10月は京都のお祭りの多い月です。
京都関連のサイトを見てもらったらよくわかることなんですが
やっぱり気候がいいし、晴れの日が多いから
昔の人も、この時期にしよう!と思ったのかなと思います。

西陣にある私の実家のあたりは今宮神社が氏神さんで
5月の第二日曜がお祭りです。
昔は葵祭りと同じく15日だったけど
重なるし、日曜のほうがみんなお祭りに参加しやすいから変わったそうです。

そしてお祭りといえば鯖寿司。
結構好みが分かれるお寿司ですが
私はこれが大好きなんです。
私の家でも母が毎年作ってくれました。
昔は1升くらいごはんを炊いて
親戚じゅうに配っていたそうです。

今では家で作るところも少なくなってきてるでしょうね。
鯖の半身を買ってきて
酢に2時間ほど漬け、
皮をむいてそげ(とげ)抜きで骨を取ります。
まな板に布巾を敷いておいてその上に
鯖を皮を下にして置き、
包丁で身をこそげてしっぽの部分に足しておきます。
そこにおにぎりのように丸めたすしめしを乗せていき、
全部乗ったら簡単に形を整え布巾に包み、
今度はぎゅっぎゅっと手で力を瞬間的に入れて形を作ります。
そこそこ握ったら布巾から取り出し
水で湿らせておいた竹の皮に包み、
半日は置いといて出来上がりです。
すしめしはばらずしより甘味は控えめ、
そして包むものは竹の皮でないといけません。
なんか風味が出るというか、
蒸れたりしなくて、美味しくできあがります。

あー書いてるとまた欲しくなってきますねー。
でも最近は作ってません。
今いるところは北野天満宮が氏神さんなんですが
天神さんは秋にお祭りなので
秋に作ればいいのですがそれもなし。
作ったことはあるけど以前ほど食べませんしね。
実家にいたころは家族3人で2本は平らげました。
1日鯖寿司でも平気だったんですけどね(^^;

「いづう」さんとか鯖寿司で有名なところも多いけど、
やっぱり私は母の作ってくれた鯖寿司が一番好きでしたね。
もう一度食べたいけど無理なので
今年ぐらい、自分で作ってみようかなと思ってます。


・祇園祭の楽しみ方 

梅雨もあと少しで明ける頃、17日は祇園祭、鉾巡行です。

鉾町あたりでは7月に入るともう会所からお囃子の稽古の音が流れてきています
京都に住んでいる人はこの頃になるといやというほど、
どこからもお囃子の音が聞こえてきますが、
生演奏の音は情緒があって本当によいものです。

13日になるとそろそろ会所の準備も整って、
あたりの屏風祭りもぽつぽつと増えてきます。
日頃見られない鉾町のお家の宝物が見られるので、
私は毎年営業を兼ねて行っています。
夕方くらいになると、人も急に増えてきます。
ゆっくり中を見たり、関係者の方とお話したりしようと思ったら
お昼に行くのがいいでしょうね。

鉾を立てている人達は車方といって、
毎年鉾町以外から来るのですが、
車方さんと話をして裏話を聞くのもまた変わった楽しみ方です。
車方さんが作られたHPがあるのでご紹介しましょう。

北観音山 http://www.rokkaku.com/

巡行の辻回しは四条河原町で見る人がとっても多いですよね。
これは鉾の出発からついてきた人が多いせいと、
いろんな種類のお囃子が聞けるからではないかと思います。
四条河原町までは祇園さん(八坂神社)に向かっているので「行き」のお囃子です。
ゆったりとした感じで私の好きなお囃子です。
そして辻回しの時の勇壮なお囃子。
お囃子に合わせて鉾の方向を変えるのですから
囃方の人たちは重大な役目を持っているわけです。
「そーれ」っという掛け声とともに鉾が回り、
しばらくすると戻り囃子が演奏され始めます。
行きのお囃子に比べやや速く、よりリズミカルに聞こえてきます。
「そーれ!」とか「どっこい」とかいう掛け声も多めになるようです。
しかし、お囃子はこの3種類だけでなく、数十種類あるということです。
私たちが聞いても数種類くらいしか聞き分けはできませんが、
やはりキャリアが必要だということなんでしょうね。

しかし四条河原町で見ようと思うと命がけです。
私は学生時代、友人と四条河原町で見ていて、将棋倒しになりかかって
もうすこしで押しつぶされるところでした。
友人はその時ベルトを落としましたが、
「圧死、とかで明日の新聞に載らんでよかったわ」
と話していたのを覚えています。

この辻回
しは有名な四条川原町のほか
河原町御池と、新町御池などでられますが、
私は最後の辻回しを見ることが多いですね。
御池通は市内でももっとも広い通りの1つですので
堀川あたりから東を見ると、
鉾や山が並んで来るのがとてもよく見てます。
最後の辻回しの直前に長刀鉾のお稚児さんがお付きの方の肩に乗って
前に掛けられたはしごで降りて来るので、
それを見るのも楽しみです。
囃方の人たちももうすぐ終わりということで
とてもリラックスされてるし、勢いもついててすごく楽しめる場所だと思います。

主人はも孟宗山の金幣房・籤取りの箱の紐、
船鉾の人形の冠についた房紐などなど
私は鶏鉾関連のものを作らせてもらっています。
孟宗山のは、籤改めの時、扇子でくるくるっと箱に巻きつける、あの紐です。
神仏にかかわるお仕事は大変重いですが
それだけにやりがいがあります。

そういえば、母がよく言ってました、
「祇園祭の時、鉾町の人はきゅうりを食べるのを控えやはるのえ。」
きゅうりの切り口が
八坂神社の神紋である木瓜(もっこう)紋に似ているので
それを食べてはいけないということだそうです。


・祇園祭 ― お稚児さんの追っかけ?!

17日は山鉾巡行でしたが、
2001年は一風変わった楽しみ方ができました。
長刀鉾では毎年お稚児さんが乗りますが、そのお稚児さん、
その年はうちの実家からそう遠くないお店の坊ちゃんがされました。
京都では「鳴海餅」といえば有名な、御餅・お赤飯のお店です。

実はお稚児さんは、長刀鉾のお勤めを終えると、
その姿のまま、すぐにお家に帰ります。
稚児係の方やお囃子の方も一緒なんですよ。
お稚児さんは長刀鉾の方たちとお昼に軽く休憩し、
その後、また八坂神社へ行って、お位返しをします。

私は以前からお稚児さんの袖のところに付いている飾り房を
近くで見たいと思っていたんですが
近くで見るとなると、もうここしかないと思って
お稚児さんが家へ長刀鉾から帰られるのを待つことにしたのです。

私がお店に着いたのはまだ少し早かったので、
巡行も見てこようと新町御池まで自転車を走らせました。
そしたらちょうど巡行が終わったところでした!
私はまた慌てて自転車に乗り、とんぼ返りでお店まで必死で戻りました。
新町通りにはすでにお稚児さんを乗せる車が用意されてたし
その車より早く戻らなくてはいけませんから
もう必死で自転車をこぎました!

やっとのことでお店まで戻ると
どこかで見覚えのある人が目の前を通り過ぎました。
そしてその後にテレビカメラ!
それは片岡鶴太郎さんでした。
どこのテレビかわからなかったけど
お稚児さんの取材に来られたようでした。

そしてやがてお稚児さんのご帰宅。
ほんとにそのままの衣装でとってもかわいかった!
迎えに出ていた家族の方は本当に嬉しそうでした。

そうだ、写真を撮らないと、と思ってカメラを向けたんですが
まわりにたくさんの人がいたことと常に動いている被写体に慣れていないせいで
結局房の写真は撮れずじまい。
お稚児さんは家の中に入っていきました。
どうしようとしばらく考えていたんですが
ここまできたら家の中までお邪魔して撮らせてもらおうと
思い切って尋ねてみました。
こちらの素性を明かした上で、
房の仕事をしていること、
お稚児さんの房をなんとしても見てみたいことを話したら、
入れていただけたんです!
普通ならこんなに簡単に上げていただけないものだと思いますが
気の毒に思ってくださったのかもしれませんね。
たぶんお稚児さんのお祖母さまだと思いますが、
本当にありがとうございました。

で、あわてて家の中にあがらせてもらうと
長刀鉾の浴衣を来た人たちがずらーっと座ってらっしゃって
そこを通り抜けると夢にまで見た房をつけたお稚児さんが座っていました。

でもその時は取材の最中。
近くにはやっぱり近寄れなかったけど
写真は撮らせてもらいました。
うまくうつってるといいんですが…

しかし本当にお稚児さんは美しかった。
衣装といい、冠といい、もちろん房も…

また一つ、私の祇園祭の思い出ができました。
しかし、あの房のアップ、
いつか必ず撮ってみたいです…


後日談:
ついにあの結びがわかりました。
実はあれ簡単な結びでした。
年月が経つにつれ
形が変わり、ほどけそうになり
変なところで留められていたようです。
最近新調されたのをみて唖然としました。
本当に簡単な結びだったので…(^^;
でもわかってすっきりしました。
ずっと気になっていたもんですから…



・お盆行事

今日はお精霊(おしょらい)送り。
大文字の送り火もあります。

8月に入ると京都はすぐお盆行事が始まります。
うちは浄土宗なのですが
まず、お盆の入りまでにお寺参りに行って
ご先祖さんを迎えにいき、家に連れてかえります。
お盆の入りまでに仏様とお仏壇をきれいに掃除します。

そして、
13日から16日まで、お盆行事がいろいろとあります。
まず、お仏壇へお供物をあげます。

蓮の花入りのお花、蓮の葉を器に入れた水。
その水の入れものの中に槙の枝を入れておきます。
そして
おもりものといわれるお供物。
ぶどう、さつまいも、えだまめ、ほおずき、こいも、なす、かぼちゃなどを
大きな蓮の葉の上にのせてお供えします。
それはうちの家の仏様と
法界の仏さん(ほうかいのうって母は言ってたのですが、正確にはわかりません)という、
無縁仏さんの分も用意します。

それから
毎日献立を変えてお膳をつくり、仏様にあげます。
それも家の先祖代々の仏さんと無縁仏さんの分をつくっておきます。
毎年13日にお寺さんが2軒来られるのですが
今年は12日と2日にわたって来られたので、5日間になってしまったけど
2日とも同じ献立にしてしまいました(^^;

1日目。

さつまいもの甘煮・ゴマのおひたし(三度豆)・きゅうりのどぼ漬け+ごはんとお茶。
お迎えだんご・小もち(おけそくさん、といいます)・蓮の形をしたお菓子

(12日:うちのお寺さん、13日:もう一つお墓のあるお寺からも棚経に来られます。)

2日目。

ゆば、花麩、高野豆腐の甘煮・ゴマのおひたし(ほうれんそう)・おなすのどぼ漬け+ごはんとお茶。
おはぎをお菓子としてあげる。

3日目。

おひら。にゅうめんの上に花麩・ゆば・干ししいたけの甘煮をのせたもの。+ごはんとお茶。
奈良漬。


4日目。

あらめとおあげのたいたん・はじかめ(芽ショウガの酢漬け)+しらむし(もち米を蒸したもの)とお茶。
送りだんご

本当はおひらは14日、白むしは15日らしいんですが勝手に変えてしまったみたいです。
でも大体どこの家でも献立が同じ感じなので
スーパーに行くと、2日目までに花麩が、3日目にはあらめが売り切れています。
今年は花麩を買い忘れ、どこに行ってもなくて慌てました。

そして4日目は朝が大忙しです。
仏さんは朝早くあちらの世界に帰られるということで
早く起きてお膳の用意をしてお供えして、
お光(ろうそくの光)が消えると、阿弥陀さんにお供えしたものを除いてすべて袋に入れ、
近くのお寺に持っていきます。
うちは近くに叔父の家の菩提寺があるのでそこに持っていきます。
袋をそこにある箱に入れ、
受付のところにお心付けを置いて、受付の人にお塔婆を書いてもらいます。
お供えするところにお塔婆をさして、お線香をあげてお祈りをしたあと
鐘を撞いて帰ってきます。

そのあと替えのお花と小もち、お菓子、お茶をお供えして
ろうそく、お線香をともし、拝んで、それでお盆行事が終わります。

忙しいでしょ?
でも毎年やってるといつもどおりしないと気持ち悪いんですよね。

お盆行事をすませて
その夜見る送り火でご先祖様をお見送りします。
きちんとしてはじめて
送り火をほっとしながら見ることができるような気がします。


・西陣の空襲 

西陣に空襲があったことをご存知ですか?
(範囲:北=上長者町通、東=大宮通、南=下立売通、西=浄福寺通)
昭和20年6月26日、もうすぐ終戦を迎えるという頃でした。
私の母と叔母は爆弾が落ちたすぐ近くに住んでいました。
母と叔母は前年に父親が亡くなり、
昭和20年5月には一番上のお姉さんを亡くし、
両親と7人兄弟だった家族も2人になってしまっていました。

母はその頃のことをよく言っていました。
「もう何にもこわいもんなんかないわ。
空襲が来たら、お位牌だけは守るけど、
防空壕へは、入らんとこな、て言うてたんえ。」
京都はその頃までほとんど空襲がなかったとはいえ、
食べるものもなく、家族も次々と亡くなっていけば
厭世的になってしまったんだろうなと思います。

その日も空襲警報がなっていたそうです。
母と叔母は「あ〜またや〜」と
思っていました。
そしていつも考えていたように
防空壕にも入っていませんでした。

しかしその日はそれで終わりませんでした。
空気を切り裂くようなものすごい音とともに
「ドッカーン!」と炸裂音がし、
それはひどい地響きがして
大地震が起こったような感じがしました。
それに続いて
「ザーッ!」という音とともに
砂が降ってきました。

母は爆弾が落ちたというのはわかったそうです。
でも何が何だかわからなくなりました。
そして
叔母と二人、もうあかんと思ったそうです。
家の中までなぜか砂だらけで
家はガタガタになりました。

しばらくすると
外から
「だれだれさんとこがやられたー」とか
「だれだれさんとこの○○さんが
木にひっかかったはるー!」とか
聞こえてきたそうです。

ケガ人や死んだ人が
私の母校、出水小学校(今の二条城北小学校)に
次々と運び込まれ、
飛び散った手や足もゴロゴロあったそうです。
そんなことは
通学していた頃は露知らず
そういう重要な歴史事実を
もっと早く知っていたらよかったと思いました。

後で本でも読みましたが
母からも聞いたことは
爆弾は7発落ちて不発弾が数発あったそうです。
その1つは
智恵光院下立売上ルの昌福寺の井戸に落ちました。
このお寺はうちの親戚の菩提寺で
中に何度も入ったことがありました。
そのときに母に教えてもらったんですが
ここに落ちたのは焼夷弾で
これが爆発してたら
今頃私はここにいなかったと思います。
住職さんは私の同級生で
いつかまたお話が聞けたらいいなぁと思っています。




・地蔵盆

一般に、地蔵盆というと、22、23日(だったと思うんですが)なんですが
最近は準備のしやすい土日にするところがほとんどです。
また、最近の傾向として、1日だけのところが多くなってきたみたいです。
子供が少なくなってきたので行事もそんなにしなくても十分たのしめるし、
準備する大人も忙しいから自然とそうなってきたんでしょうね。

地蔵盆でまつられている仏さんはほとんどが普通のお地蔵さんか
延命地蔵と呼ばれている方です。
でも中には大日如来さんが民間信仰化してまつられているところがあります。
うちの町内もその「大日さん(だいにっつぁん)」なんです。

母がよく言ってました、
「大日さんは普通のお地蔵さんより強い仏さんやし、
 ちゃんとおまつりせんとたたるのんえ。」

「大日さん」をおまつりする日は普通のお地蔵さん(地蔵盆のこと)より1週ほど遅く、
たしか27,8日ごろだったと思うんですが
土日におまつりするとしても1週遅れます。
それで、うちの町内も今日、25日、それも1日だけのお地蔵さんとなりました。

昔は子供が多かったからそれはやかましい2日間でしたが
今は町内にいる子供の数はほとんど1桁台ですから
まつってある場所に、お年寄りの姿しかないということもしばしばです。
うちも中学生2人、小学生2人、それ以下は4人という少なさです。
うちの子は「それ以下」に入っていますが
ありがたいことに同じ町内のお友達が同い年で
これから小学校にあがっても一緒に遊べるのでほっとしています。

私の町内では、
地蔵盆の準備は前日から始まり、朝にお地蔵さんの飾り付けをします。
それが済めば、小さなお盆にお供えの金封を乗せて持っていきます。
なにせ、お金のいることですから、お供えは欠かせないんです。
あとでこのお盆に、「お盆返し」といって、
めいめい分配されたお地蔵さんのお供え物が乗って返って来ます。

さて、行事の中でよく知られているくじ引き、昔は「ふご下ろし」をしたそうです。
実家の町内では私の子供の頃はすでにしていませんでしたが
くじ引きの景品を
2階から下まで張った紐に吊り下げた籠に入れておろしてきたそうです。
みんなは下におりてくるまで景品が見えないので余計にわくわくしたんでしょうね。

そして行事の中には必ずお参りがあって、
お寺さんから来られたり、町内の人が御詠歌を詠んでくださったりします。
そしてクライマックスは数珠回し。
大きな数珠を「なんまんだぁぶつぅ〜!」と大きな声で唱えながら
みんなでぐるぐる回すのです。
そしてつなぎ目の房のところにくると「アン!」といって拝みます。

みんなみんな楽しかった思い出です。
今の子供たちにもそんな楽しみ、残しておいてあげたいです。


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